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追悼 佐藤純彌監督(2019.2投稿)

日中両国の映画界に名を残された佐藤純彌監督が、2月9日、還らぬ人となられました。86歳でした。

お亡くなりになった日の朝まで、頭は非常にはっきりされていましたし、世話する者を気づかってか、しばしば冗談もおっしゃるほどだったのですが…。

はじめて監督にお目にかかったのは5、6年前でしたでしょうか。

佐藤監督作品「未完の対局」(中国語の題名は「一盤没有下完的棋」)に子役として出演した劉新は、この作品に出たことから将来映画界に入ることを希望し、その夢をみごとにかなえて俳優・監督となりました。

その劉新が佐藤監督とともに映画を撮ることを願い、女優となっていた私の娘・王汀を交え、日本のホテルで食事をしたのが監督との出会いでした。

中国旅行にご一緒した時は私の故郷である北京をご案内しましたし(思い出の写真を添付しました)、監督が病を得てからは、積極的な治療を望まれなかったことから、教室に来られた時に中国の伝統医学に基づいてアドバイスをしたり、いよいよ身体が弱られて後はお宅にうかがってマッサージや気功を施したり、お世話をしていた方と食事の内容を工夫したりしていました。

監督との交流は長かったわけではありませんが、やはりそれぞれの分野で名を残すような方はつき合う者に強い印象を残すもので、監督の頭の回転の速さや、ポンポンと冗談を飛ばしながらの人の気をそらさない話しぶりが、その温顔とともに思い出されます。

奥様をしばらく前に亡くされてお寂しかったとは思いますが、「これは妹にもらったんだ」とセーターを見せたりしてご家族への愛情をいつも示されていました。きっと撮影スタッフの間でも人望がおありだったことでしょう。

ある世代以上の中国人にとって、佐藤監督は特別な存在です。

中国で文化大革命(1966~76年)が終わり、初めて一般に公開された日本映画が佐藤監督の「追捕」(日本語の題名は「君よ憤怒の河を渉れ」)だったからです。

私も映画とはこんなに面白いものかと何回か見ましたが、まだ貧しく娯楽も乏しかった中国で、「追捕」は10億人が見たと言われるほどの一大ブームを引き起こしました。世界的に評価の高い黒澤明監督よりも「追捕」を撮った佐藤監督を高く評価する中国人は今も多いでしょう。

主演の高倉健さんは先年亡くなりましたが、相手役を務めた中野良子さんは今でも中国の映画のイベントなどに招待されています。中野さんの役名である「真由美」は、「追捕」ブームが高まるとともに店や商品の名前にずいぶん使われていたのを覚えています。

「人間の証明」(中国語の題名は「人証」)、「敦煌」「北京原人」など佐藤監督の他の作品ももちろん中国で公開されました。

監督が過ごされていた自室には、ご自分が撮った「男たちの大和/YAMATO」の大きなポスターが貼られ、コンピューターの上には映画の台本が置かれていました。もしかしたら、監督は病の床の中でもひそかに次回作の構想を練っていらっしゃったのかもしれません。

亡くなられて2週間、今も監督にまつわる思い出は次から次へと頭に浮かんできます。

監督は天に召されましたが、監督に大きな影響を受けた劉新や私の娘の王汀が、日本と中国の人々の心に何かを刻みつけるような映画を作ってくれることを願ってやみません。
合掌。

楊秀峰